チラシの裏は意外と白くない

最近忘れっぽくなったので調べたことをチラシの裏に書きます

ウェンナイと天北線

背景

「ウェンナイ」という単語を初めて耳にしたのは、2013年頃の夏休み。北海道礼文島で宿泊した奇妙な宿でのこと(この話も機会があればいずれ)。

 

「ウェンナイまで来たときにさ~」

「ウェンナイだとだいぶ歩きましたね~」

みたいな会話が聞こえてくる。どうもウェンナイというのは地名らしい。

 

礼文島には「愛とロマンの8時間コース」なるトレッキングコースがあり、このコースの途中にある集落の名前がウェンナイもとい宇遠内だったのだ。なんとなく頭に残るフレーズだったので、時々思い出し宇遠内をするのだ。

余談だが、愛とロマンの8時間コースを踏破した人の話を聞いて、トレッキングに行く気満々になったのだったが、翌日はあいにくの雨でトレッキングは中止。いつかはいきたいと思っている。

 

で、思い出し宇遠内して、ちょっと調べてみた時の話。

 

礼文島に鉄道!?

 宇遠内でググると、wikipediaの「宇遠内駅」が引っかかる。礼文島に鉄道なんてある(あった)のか??と思ってみてみると、残念ながらそういうわけではないらしい。

  

で、その宇遠内駅だが稚内市内にあり、いまは廃線になっている天北線(てんぽくせん)の駅とのこと。

 

ja.wikipedia.org

 

天北線のルート

旭川からほぼ真北に進む宗谷本線が、日本海に向けて西に進路を取り始める音威子府を起点とし、音威子府からオホーツク海へ抜けて、再び南稚内で宗谷本線に合流する。これが天北線のざっくりとしたルートだったらしい。総延長は約150km、1989年5月に廃線。天北は令制国名「天塩国」と「北見国」から。令制国っていうのもよくわからないので、そのうち調べてみたい。

 

 旭川稚内間を接続する鉄道の歴史

ざっくりと

  1. 1922年 天北線の前身となるオホーツク海ルートが開通
  2. 1926年 音威子府から日本海側を経て稚内に至る天塩線が開通
  3. 1930年 天塩線が宗谷本線に編入、1の路線は北見線に改称
  4. 1942年 旧野付牛(のっけうし)町が北見市に改称、これに伴って野付牛駅も北見駅に改称
  5. 1961年 北見駅通らないのに北見線って…ということで?天北線に改称
  6. 1989年 天北線廃止

という感じらしい。ちなみに距離的には北見線>天塩線みたいだが、上記の通り北見線が先に開通している。

 

思わぬ宇遠内駅情報のおかげですっかり鉄道について調べてしまったが、旧国鉄時代から続く北海道の廃線の歴史はとても興味深いと思う。北海道をチャリで走っていると、平気で最寄りの鉄道駅までXXkmなんてことがあって、でも調べてみるとかつてはもっと近くに鉄道が走っていて、ということがままある。道東についてもいずれ調べてみたいと考えている。

 

戻って礼文島の宇遠内

 さて、本題の礼文の宇遠内。礼文島には島を一周する道路はなく、主に東側・北海道本島(というのか?)側にしか存在しない。おそらく西海岸は断崖絶壁に近い地形のせいだろう。自動車で宇遠内集落に行くことは不可能で、8時間コースに含まれる林道を徒歩で行くしかないらしい。あとは船。でもそこで暮らしている人はいる。いつかは必ず行って、8時間コースも踏破してみたい。

 

ちなみにウェンナイ

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ほかの北海道の地名と同じくアイヌ語が起源になっていて、ウェン・ナイ=悪い川という意味らしい。これまたほかの地名同様、宇遠内という地名は道内で数か所ヒットする。

宇遠内駅の由来は、以下の通りなのだが、

駅名の由来[編集]
当駅の所在地近辺の地名及び河川名より[注 1]。地名は、アイヌ語の「ウェン・ナイ」(悪い川)に由来する。
付近を流れるウェンナイ川は、鉱物が溶け込んだ水質のために魚が棲まなかったことから、その名が付けられた。  

同様の語源を持つ苫小牧市にある「植苗駅」のWikipediaの記事によると、

駅名の由来[編集]
当駅近辺の地名より。アイヌ語の「ウェンナイ(wen-nay)」(悪い・川)より[5]。
同様の地名は北海道内各地にあるが、何が「悪い」のかは大抵の場合わからない。ここも同様である[5]。

ということで、"水質の悪い"川が近所にある稚内の宇遠内は特殊な事例のようだ。